浮世絵は愉しい 
沢井コレクション百選
沢井 鈴一 著

「浮世絵は愉しい―沢井コレクション百選展」を友人たちのご協力によって開催することになった。有り難いという気持ちと同時に、いささかの気恥ずかしさを感じている。気恥ずかしさは、私のコレクションには、世間的に評価の高い作品は数点しか展示出来ないことである。従来の浮世絵展といえば、写楽が何点展示されているか、歌麿が何点出ているかによって、展覧会の評価が決定されていたようだ。ところが、私が収集した浮世絵は、乏しい小遣いの範囲内で購入したものばかりだ。十数年かけて自分が本当に気に入ったもの、自分が素晴らしいと惚れ込んで集めたものばかりだ。
「よく見ればなずな花咲く垣根かな」(芭蕉)という視点が私の浮世絵に対する姿勢である。高価な蘭の花や鮮やかな薔薇の花は一点も入っていない。しかし、垣根に咲く「なずなの花」は近づいてよく見てみると魅力にあふれるものばかりだ。
浮世絵を見る愉しさ、それは自分の目で、その魅力を見つけ出す愉しさだ。他人の評価ではない。自分でよい作品を見つけ、その魅力を愉しむことである。
(沢井鈴一)

タイトル浮世絵は愉しい ――沢井コレクション百選――
発行株式会社 あるむ
定価2000円(残部僅少)
発行年月日1999年12月21日
書籍コードISBN4-901095-03-X C0071
著者沢井 鈴一
問合先株式会社 あるむ(052-332-0861)
備考A5判上製 200頁(一頁大カラー図版105点)


1 東海道五拾三次之内・見附 天竜川図
広重/版元 竹内孫八/刊年 天保四年/大錦
 暴れ天竜と異名をとる日本三大急流の一つ天竜川の渡し場の光景
 朝もやにつつまれた中州で手持ち無沙汰な様子の船頭一人は煙管をくわえてぼんやりと積み荷を積んだ馬や旅人を眺めている一人は竿を地面に立てて舳先に腰を下ろしているその竿は天ぼかしの所まで垂直に立っている垂直の竿と交差するようなかたちで無人の渡し船の舳先より中州に突き出ている竿がある二本の竿を平坦な中州に描くことによって場面構成が変化に富んだ面白いものになっている
 前景の動きのない竿と異なり中景に描かれているのは動きのある竿だ小さく描かれた竿が渡し船の動きを巧みに表現しているのどかな前景と変わり中景は旅人を渡す船の動きがあわただしい
 遠景の森と山はふきぼかしによって朝もやのおぼろに霞んだ湿った感じがよく出ているもやった森や山がこの絵を情緒の濃いものにしているこの絵の極めて摺りの早いものに森の裾の辺に二本の線が入ったものがあるこの絵はそれに次ぐ早い時期に摺られたものだ
 

2 東海道五拾三次之内・石薬師 石薬師寺
広重/版元 竹内孫八/刊年 天保四年/大錦
 石薬師という表題であるにもかかわらず由緒のある石薬師寺は小道の奥にひっそりと描かれているにすぎない寺の門前には馬に乗った旅人が閉ざされた門を見つめている前景には暮れなずむ秋の終わりの藁を積み上げた田で働いている農夫が描かれている石薬師寺に続く一本の田圃道そこには荷物を担ぎ家路を急ぐ農夫の姿がある
 中景には雑木林の中に点在する宿場の家並みと静寂とした石薬師寺が描かれている門前の大木は亭亭と空を圧するかのように聳えている
 遠景はなだらかな稜線を描く山並みだ炊煙が森の中に漂っている
 平凡な情景であるがこの絵はかつては日本のどこの地でも見られたのどかな光景だ郷愁をさそう景色だぼかしをいくつも丁寧にかけた初刷りの作品である
 

3 近江八景之内・帰帆
広重/版元 山本平吉/刊年 天保初期/大錦
 広重は二十四種類に及ぶ夥しい数の近江八景の図を描いている数多い近江八景のうち代表作が天保初期に保永堂及び栄久堂から出されたこの図を含む「近江八景之内」である今しも漁を終えて港に辿り着き帆を下ろしたばかりの船の上には豆粒ほどに小さく人物が点景として描かれているこのシリーズの特色は人物が殆ど描かれていないことである人物が描かれている絵でもこの絵のように豆粒程に小さく描かれているにすぎないまた墨絵風の趣もこのシリーズの特色だこの絵でも前景に波打際のわびしい漁村風景が墨絵風に描かれている墨色は森に囲まれた漁村の暮れなずむ趣をよく表している
 中景には港に近づくにつれ次第に帆を下ろしている船が描かれている
 遠景には対岸の山々が描かれている代赭色のふきぼかしが夕日の沈む感じを表し効果的だその中に墨色で山が描かれている画面中央の対岸線が空と湖とをわけて琵琶湖の雄大な趣をよく感じさせる
 色紙形の中に「真帆かけて矢橋にかへる舟はいま うち出のはまをあとの追風」と記されている
 

10 諸国名所百景・周防岩国錦帯橋
二代広重/版元 魚屋栄吉/刊年 安政六年/大錦
 初代広重が亡くなった後養女お辰と結婚し跡目を継いだ二代広重の「諸国名所百景」のうち「周防岩国錦帯橋」の図二代広重は温厚な人柄であったという穏やかな人柄がこの絵からもよく伝わってくる
 天下の奇橋錦帯橋を奇抜な構図で描いたのではない彼が描いているのは人物と風景とが渾然と溶け合った人々の生活の場である錦帯橋の図だ画面の左右の上隅に雪の降り積もった岸辺が描かれている画面の下方には錦見の里が描かれているその間を錦川が流れていく川幅の広さを巧みに表す構成だ
 橋の長さが感じられるように画面の中央大きく左上から右下にかけて錦帯橋が描かれている川の上流中流下流と三段に分けてぼかしがかけられている巧みに計算された構図で描かれた川からは岸辺に押し寄せる波の動きまでもわかる川にも橋にも止むことなく雪は降り続いている降り続く雪の中で船の櫓を漕ぐ人がいる橋の上を往来する人がいる錦見の里を行き来する人が小さく描かれているそんな雪景色の中で岸辺に生える緑の若草は春の到来を告げている本図よりも遅い摺りのものには緑の色版がなくなる
 

14 よしはらやうじ廓の四季志・尾張屋内長尾
英泉/版元 蔦屋重三郎/刊年 文政前期/大錦  立て膝に頬杖ついて馴染み客からの手紙を行灯の灯りのもとで読んでいる長尾のあで姿足下に無造作に美艶仙女香が置かれている英泉はよく絵の中に仙女香を書き入れその宣伝を巧みにした華やかな衣装と長尾の艶な表情とがマッチして英泉独特の美人画の世界が醸し出されている
 コマ絵は大の図鞠を二階にまで上げて演じているのが描かれている吉原には浅草田町一丁目の佐藤斎宮の配下丸一の連中が二月一日から廓の中に入り込み曲鞠を演じて祝儀をもらって歩いた
 コマ絵で省略されている二階の引付座敷のれんじ窓から遊女たちが馴染み客と共に曲鞠を眺めて楽しんだ
 長尾はその外の騒ぎとは無縁に馴染み客からの恋文を読んでいる
 

26 風流雪月花乃内・雪の肌
三代豊国/版元 小島屋重兵衛/刊年 弘化〜嘉永/団扇絵錦
 「雪月花」という標題がつけられた団扇絵「雪月花」とあるところから「月」「花」の団扇絵の存在も考えられるが現在のところ確認されていない
 本図は極美の保存状態で完璧な作品「雪の肌」という標題にふさわしく美人が肌もあらわに今しも着物を衣紋掛けにかけようとしているところ若さにあふれ自分の美しさに酔っているような美人の表情が何ともいえず艶めかしい
 美人が肩から掛けているのは手ぬぐいを結んだもので当時「汗取り」と呼ばれた
 美人が衣紋掛けに掛けようとしている着物も色鮮やかな意匠のものだ
 江戸の女性がお洒落でいかに着物に凝っていたかがわかる
 背景のデザインは雪の結晶模様でタイトルと関連させていてなかなか気の利いたものだコマ絵の中で戯れている二匹の犬が可愛らしい
 日常生活の何でもないスナップであるがこの団扇絵から江戸の女性の生活が伝わってくる
 

30 三代目市川市蔵の髪結才三郎
三代豊国/版元 恵比寿屋庄七/刊年 慶応元年/大錦
 三代豊国最晩年の役者大首絵五十九枚のうちの市川市蔵の髪結才三郎海老蔵幸四郎歌右衛門という人気俳優を豊国は錦昇堂のシリーズに二枚ずつ描いているそれらの俳優に比べてさして有名とも言えない市蔵も髪結才三郎と岩見重太郎の二点が入っている髪結才三郎は豊国が亡くなった元治元年の翌年慶応元年に出版された
 それについて「市川市蔵二枚の内髪結才三郎は錦絵改印の年月が慶応元年三月即ち市蔵死去の年月と同じになってゐるところを見ると豊国生前の遺稿を市蔵死去と共に死絵の意味で特にこれ一枚だけを取り出して出版したものであらう」と小島烏水は『三世歌川豊国役者大首絵集』の中で述べている
 眉間を高く浮きだたせるきめだしの板ぼかし赤と緑の地つぶしの中に浮かび出る市蔵のきりりとした姿厚奉書に彫師と摺師が技の限りをつくした極美の作品である
 粋でいなせな市蔵の姿が彷彿としてくる作品である
 

34 豊国揮毫奇術競・勇婦綱手
三代豊国/版元 平野屋新蔵/刊年 文久元年/大錦
 なんとも幻想的な絵だ画面は大きく空と波の部分に分けることができるどこまでが水の世界でどこからが空の部分かは判然としていない水の世界には濃い紺色と薄い緑色のぼかしがかけられている濃い紺色の部分は深い水底であり薄い緑色の部分は浅い流れの部分であるぼかしの中に描かれている波も水底の部分は大きなうねりで描かれている浅い流れの部分のうねりは小さい穏やかなものだ波と空との境には薄いかすかなぼかしがかけられている地つぶしは上にいくに従い濃い墨色にと変わっていく
 空には何羽かの千鳥が飛んでいる役者の似顔は沢村田之助沢村田之助の替紋は波に千鳥である綱手の着物には大輪の菊が描かれている紀伊国屋の家紋は環菊である波に千鳥これによってこの図の勇婦綱手は沢村田之助であることを表している何げなく描かれているものにも絵師は深い意味をこめている
 

39 豊国揮毫奇術競・天竺徳兵衛
三代豊国/版元 平野屋新蔵/刊年 文久二年/大錦
 「南無さつたるまぐんたるぎや……」と呪文を唱え印を結ぶと大蝦蟇が現れるという趣向で大当たりをとった歌舞伎の世界でお馴染みの天竺徳兵衛は実在の人物であったという播州の高砂の漁師で貿易船に乗り二度も東南アジアに出掛けた彼は自分の奇しき体験を書物に書き記した渡航記は鎖国の時代に出版される筈もないが書写されて流布していった異国に対する人々の憧れが並木正三などによる合作の歌舞伎「天竺徳兵衛聞書往来」近松半二など合作の浄瑠璃「天竺徳兵衛郷鏡」等を生んだと言えよう
 図は不敵な面構えの徳兵衛が大碇に凭れかかって煙草を吸っている所天竺徳兵衛といえば蝦蟇の妖術使いとして有名だ小さな蛙が煙草入れの銀鎖の端で煙を吐いているがこれは根付けになっているそして煙草入れの前金具は蛞蝓でできている碇につけられた縄は捩じれ捩れて蛇のかたちをしている蝦蟇蛞蝓蛇と三竦みの趣向が凝らされている徳兵衛の着物は異国の海を荒らす海賊にふさわしいいでたちだ漁師や船乗りの着るボタンのついた下着その上に羽織っている上着はアイヌの厚司模様である異国と自由に往来し妖術を使う大海賊らしい服装である
 役者の似顔は坂東彦三郎大きなどてらには片仮名でヒコと記されている外題の外枠の上に彦三郎の替紋の九字菱下に八重酢漿草
 

46 通俗水滸伝豪傑百八人之壹人・浪裡白跳張順
国芳/版元 加賀屋吉兵衛/刊年 文政末期/大錦
 囲み枠の中に張順のことが「小狐山麓の人尤勇にして全身雪よりも白く水に浮事四五十里ニし而労ず水底に沈事七日七夜にして去に労せず杭州城の北新橋西湖の水門をくぐりて敵城へ忍湧金門の水門を破後に金華将軍ト号」と書かれている場面は張順が西湖に潜り湧金門の所から杭州城の城壁に登ろうとして敵軍に見つかり大弓石を射かけられ死ぬ所である単身敵城に忍び込み何本もの矢が打ち込まれる中刀をくわえた張順の苦悶にゆがんだ表情が印象的さすがの水練の達人も天命に逆らうことはできず仲間の嘆きをよそにあたら惜しい命を落としてしまう
 渦巻く水の流れに浮かぶ張順の入れ墨と赤い褌の色が際立つている後刷りになると入れ墨の青褌の赤が濁ったものになる
 

49 東都名所・するがだひ
国芳/版元 加賀屋吉兵衛/刊年 天保初期/大錦
 東都名所十枚のうちの「するがだひ」の図である今しも雨が上がったばかりの空に虹がかかっている対岸の樹木も雨で生彩を取り戻し生き生きとしている
 国芳は風景画を描く時視点を非常に低くとることが多い低い視点の構図の中に光と影を巧みに取り入れるそれは印象派の画家たちが苦心したようにさまざまな試行錯誤を重ねて表現できたものであろう堀の斜面の光人物の影光と影のシンフォニーが奏でられているようだ
 晴れ上がった空にかかる虹を主人に指差す下僕手を振りかざしてその虹を見上げる武士虹は目を凝らしてよく見てみると何色ものぼかしがかけられているこの摺り方は初刷品にしかみられないものである
 傘を回しながらやってくるどこかの店の丁稚らしい少年生気を取り戻したのは樹木ばかりではない人々の姿も生き生きとしている
 のどかな雨上がりの情景だ
 

51 亀と蟹
国芳/版元 辻岡屋文助/刊年 天保中期/中短冊錦
 国芳は天保の中期に「鮒」「蛸」「えびざこ」「ふぐとえい」「藤下緋鯉」「萩に鮎」「鯰」「金魚にめだか」とこの図の十枚の魚類中短冊を描いた
 いずれも魚の生態を巧みにとらえた躍動感のある作品となっている短冊絵の中で鯉も鮎も生き生きと踊っているのに比して「亀と蟹」は静止した状態だわずかに動きがあるかも知れないがそれは画面からは伝わってこない他の魚たちは華やかな色調で描かれているが「亀と蟹」はおさえた色調で描かれている亀も蟹も単純化され象徴化されているようだ画面の上方から下方に斜めに横切っている石垣にしてもそうだ上方は墨がかったぼかし下方はやや薄黄色がかったぼかしによって表されているだけである
 石垣の透き間から垂れ下がっているたんぽぽは何かもの憂げで造花のような頼りなさだ
 石垣によって斜めに断ち切られた半分の空間には薄黄色藍色などのぼかしが丁寧に施されているどこまでが空かどこまでが水かの区別は判然としていない
 春ののどかな日和にさそわれて亀は杭を上がり蟹は石垣の透き間から顔をのぞかせた図と考えられるがそれにしても不思議な絵である
 極端に単純化された画面は何か深い意図を持って描いたようにも受け取れる
 

57 荷宝蔵壁のむだ書・これわ大でき大でき
国芳/版元 伊場屋仙三郎/刊年 弘化〜嘉永/大錦
 天保改革による役者絵販売の禁止の余波が残る嘉永の初め当局の目をかすめ壁に釘で悪戯がきをしたように役者の似顔を描いたもの
 壁に描かれたそれぞれの役者は同一の方向に視線を向けているさらっと描かれた役者の似顔にはその特徴がよく描かれている
 右上の役者は三代目関三十郎敵役を得意とした役者だけにここに描かれている役者の中で最も厳しい表情をしているその下に描かれているのは四代目尾上梅幸梅幸の横に「花ぞの」と書かれているがこれは梅幸の役名その下は五代目沢村宗十郎相合傘に「お仲清七」と落書がしてあるがこれは宗十郎が手代清七の役を演じたからだ
 左上は四代目小佐川常世中は中山市蔵下は大谷広右衛門
 三十郎の似顔をはさみ「これわ大でき大でき」と書かれ常世と市蔵の横には「なるほど なるほど なるほど」と書かれている芝居が非常に評判になり大当たりをとったことを落書によって知らせているのである
 

60 荷宝蔵壁のむだ書・さやあて
国芳/版元 伊場屋仙三郎/刊年 弘化〜嘉永/大錦
 壁に釘でひっかいたようなタッチで描いた「荷宝蔵壁のむだ書」は前載した腰壁が黄色のもの三点と当図のように墨色のものが二点ある
 似顔絵は右上が八代目市川団十郎右中が市川九蔵右下不明左上は中山文五郎左中不明左下は二代目尾上多見蔵
 団十郎の似顔には「さやあて」と書いてある「鞘当て」とは不破伴左衛門と名古屋山三郎とが遊女葛城を争い刀の鞘が当たったのを咎め一人の女を手に入れようとして二人の男が争う芝居である現代でも「鞘当てを演じる」などと同様の意味で使われている
 団十郎の衣装は雲に稲妻模様であるがこれは初代団十郎が不破伴左衛門を演じた時に「稲妻のはじまり見たり不破の関」という俳句から思い付いたもの
 団十郎は嘉永元年三月からの市村座における「昔語稲妻帖」で不破の役を演じたがこの落書はその時の舞台姿「よしつね」と落書がしてあるのは弘化四年河原崎座の「義経千本桜」で義経を市川九蔵が演じたことによる
 「岩永」という落書は「壇浦兜軍記」で尾上多見蔵が弘化四年八月中村座で岩永左衛門を演じたことによる
 

88 大願成就有ケ瀧縞・見立て菊慈童
国芳/版元 伊場屋仙三郎/刊年 弘化期/大錦
 「有ケ滝」に「有難き」を掛けて大願が成就する有り難い縞模様の着物であると衣裳屋の宣伝も兼ねた十枚シリーズのうちの一枚いずれも滝に関連する説話戯曲などを描いたコマ絵に滝縞模様の衣裳を着た美人を見立てる
 周王の寵愛を受けていた慈童は誤って王の枕元を踏み越えてしまう深山に配流になった慈童は菊の下葉に経文を書き記して谷川に流す霊水と化した水を飲んだ慈童は童形のまま不老不死の寿を得たという本図はその菊慈童の故事を見立絵にしてある
 コマ絵の菊慈童のポーズと勝ち気な感じの美人がやや右側を向いているポーズが同じであることに気づく
 菊慈童の童形の髪は美人の洗い髪で見立ててあるコマ絵の菊と美人の着物の紋の菊さらに美人が手に持つ餅まで菊の形に描かれている
 したたる滝の水のように美人の着る滝縞模様は流動的だ
 きっと結んだ唇の朱色襟元から覗く肌着の朱色が何とも言えず魅惑的だ
 

89 人間萬事愛婦美八卦意・辛 蝋燭の夜の雨
国芳/版元 山口屋藤兵衛/刊年 弘化〜嘉永/大錦
 近江八景を当世風俗で見立てた八枚シリーズの内の一枚「蝋燭の夜の雨」は近江八景の「唐崎夜雨」をもじったもの「近江」に「愛婦美」の字を当て「八景」に「八卦意」を当てている
 八卦は易の八卦で乾(けん)・兌(だ)・離(り)震(しん)・巽(そん)・坎(かん)・艮(ごん)・坤(こん)の八種の象であるこの絵は「震」に「辛」の字を当てはめ辛抱が肝要なことを絵の上に戯文調で述べている
 画題に添えてある「辛」の字は鏡の中に入っているがこれは易で人相手相を見る天眼鏡である天眼鏡によって女性の生き方を洞察しようとする意が込められている天眼鏡の上に描かれている棒は易占に用いる算木易では算木を並べて卦を占うこのシリーズでは算木をそれぞれの象に並べている明に算木が並べてあるのは八卦の「震」を表している
 「震」はまた「辛」のほかに蝋燭の「芯」の意もあてている蝋燭の「芯」をこまめに何度も切ることが必要でそれがまた女性の生活の知恵であることを教訓している
 

97 義勇八犬伝・犬坂毛乃
国芳/版元 清水屋/刊年 弘化〜嘉永/大錦
 「浩処にあなたの庭なる松を伝ふて築垣を跳越えつゝ飛鳥の如くこなたへ走り来るものあり小文吾亦復胸うち騒ぎて『そは旦開野か』と呼かくる程しもあらず旦開野は紊す黒髪劈れたる衣に鮮血の韓紅右手には明晃々たる氷の刃を抜拿て左手に物を引提つゝはやくも走り近づきて『犬田主々犬田主々さこそは待ちかね給ひけめ辛じて約束の符牒は手に入り侍りたり是見給へ』といひかけて縁樞へ投出すを小文吾は訝りながら裡より光さす燈火と天に隈なき月影に引よして見れば符牒にはあらで思ひがけなき馬加大記常武が首級なりければ……」曲亭馬琴が『南総里見八犬伝』第六輯巻之四第五十七回の中で書き記したこの絵の場面である
 常武のために一家皆殺しにされ家名を断絶された毛野(本図では毛乃)は田楽の一座に入りという芸名で旅から旅の生活の中で復讐の機会を狙う女装し踊り子姿で常武の席に出た毛野が敵の首級をあげ艶然と微笑んでいる場面である
 旦開野から八犬伝の一人犬坂毛野にと変身をする場面で両性ないまぜの妖しい魅力が画面全体に醸し出されている着物の意匠も垢抜けていて素晴らしい
 犬坂毛野の似顔は坂東しうか
 

105 龍虎競起風雨
芳艷/版元 蔦屋吉蔵/刊年 安政三年/大錦
 斜めに大きく走る雷光その雷光を中心として大きな線小さな線で縦横に雷光が描かれている雷光の中の幾箇所かが黒く変色しているがこれは絵の具の中の鉛が酸化したもの
 虎は牙を剥きだし爪を立てて巌頭に立っている巌がそびえ立つ下には笹が生い茂っている巌の下には河が凄まじい勢いで流れている
 虎の尾は逆立ち天空に舞っている巌頭に立つ虎に立ち向かう龍は炎を吹き出しながら黒雲の中から虎の様子を窺っている黒雲の中から大きな爪を三本出して今にも虎に掴み掛かろうとする姿だ黒雲の中に見え隠れする龍の曲がりくねった姿龍の吐き出す赤い炎が印象的だ
 黒雲には微妙にぼかしが付けられている龍の爪が黒雲の中から浮き出ている周りは薄墨色で闇の中に浮かぶ暗雲を表す
 画面全体に龍虎の戦う迫力が漲っている図だ
 



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